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化
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宗
教
研
究
課
第1回 日本人の宗教観 |
日本人は宗教という言葉を聞くと、眉をしかめる方が多いように思われます。
私も宗教に関するコンテンツを作ると家族に言うと、ずいぶん反対されました。
それは一体なぜなのでしょうか。
おそらく一部の新宗教団体が事件を起こしたという事実や、
金集めばかりに精を出しているといったことが、その理由だと思われます。
宗教=危ない、おかしいという意識が、一部の新宗教団体の行動によって、
日本人の頭の中に埋め込まれてしまっているのです。
だから日本人は宗教という言葉から、神社やお寺や教会よりも、
そういった新宗教を連想しがちなのだと思います。
新宗教団体の中には信者の勧誘にものすごく熱心な団体があります。
それにひきかえ、古くからある神社や寺は布教活動をほとんど行いません。
それも宗教という言葉から、新宗教を連想しやすくする一因になっているのでしょう。
なぜ古くからある寺は布教活動をしないのか、
そうなった原因は江戸時代の檀家制度にあります。
檀家制度とは家ごとに、その家が所属する寺を決めてしまう制度です。
したがって、寺はこの制度によって信徒が割り振られるため、
布教活動をする必要が全くなかったのです。
その檀家制度の名残から、布教活動をほとんど行わないのだと思います。
我々日本人は宗教と聞いて、ただ眉をしかめるだけでなく、
宗教とは何なのか、自分は何を信ずるのかを、考える必要があるのだと思います。 |
第2回 新宗教の布教活動 |
ここでは、私が実際に体験した新宗教の布教活動について紹介しようと思います。
新宗教団体の中には、信者の勧誘に熱心な団体があります。
事実、私も「顕正会」と「ものみの塔聖書冊子教会(エホバの証人)」から
昔、勧誘にあったことがあります。
「顕正会」からは高校時代、同じ学校の女子生徒から勧誘を受けました。
その信者にならないと、自分の思うように生きられないという教えに
私は賛同できなかったので、3時間の話し合いの末、断りました。
また、「ものみの塔聖書冊子教会」は勧誘のため、自宅を訪ねてきました。
「ものみの塔聖書冊子教会」とは、1870年代のはじめにアメリカで組織された
聖書研究グループを前身としている宗教団体です。
キリスト教の流れを組んでおり、進化論を認めていません。
私は中学生の頃、その信者と人間は猿から進化したのか、
神が創造したのかについて討論したことがあります。
私は進化論を信じているので、人間は猿から進化したと強く主張しましたが、
信者はそれに全く聞く耳を持ちません。討論は平行線です。
私はこれらの経験を機会に新宗教についていろいろと調べるようになりました。
最後に述べておきますが、私は特定の宗教は信じていません。
そして、宗教の存在を否定する考えも持っていません。 |
第3回 政教分離の歴史 |
古代エジプトの彫刻等の芸術品は、古王朝からプトレマイオス朝まで
ほぼ一貫して同じ様式で作られています。
そのような中、明らかに違う様式で作られた時代がありました。
それはツタンカーメン王が登場する時代より少し前のアマルナ時代です。
このアマルナ時代に大胆な宗教改革が行なわれました。
古代エジプト王朝では、しだいに神官の力が強まり
政治にも介入するようになってきました。
アマルナ時代の宗教改革は、これを防ぐためのものでした。
これが結果的に芸術品の様式まで変えることになってしまったのです。
古代において、政治と信仰は極めて近い位置にありました。
しかし、それが分かれてくると政治は宗教の介入を快く思わなくなり、
宗教を政治から遠ざけていったのです。
イギリスのヘンリー8世の国教会設立もローマ教皇支配から逃れるためですし、
日本においても桓武帝の平安遷都は仏教勢力が強い奈良の平城京から遠ざかり、
宗教の政治への介入を防ぐ目的がありました。
このように政教分離は様々な国で古くから試みられていたのです。 |
第4回 現代の政教分離 |
それでは現代の日本において、政教分離はどうなっているのでしょうか。
日本には公明党という創価学会に支援されている政党があります。
創価学会は教師の集まりが宗教化したという歴史を持っています。
昔にくらべて公明党と創価学会の結びつきは薄くなったと言われていますが、
それでも知り合いの創価学会員からは選挙が近くなると必ず
公明党の候補者への投票を頼まれます。
また、創価学会とは教義をめぐって対立関係にある霊友会や立正佼成会は、
公明党、創価学会に対抗するため、自民党を応援していました。
創価学会は間違いなく日本最大の宗教団体です。
反創価学会の宗派はこれを牽制したいのでしょう。
宗教の対立を政治にまで引きずるのは決してよいことではありません。
政治と宗教は次元が全く違います。宗教は人の心を支配します。
宗教が政治に溶け込んでしまうと、人の心を支配する政治になってしまいます。
この事態を避けるために政教分離が必要なのです。
他に政治家の靖国神社参拝は、政教分離に触れるか等の問題があります。
これは様々な解釈ができるため、大変難しい問題です。 |
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