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これからの日本の教育について(8月15日)

今回でこの未塾児連盟のコーナー(もう「未塾児の声」に改称しましたが)は終わります。
最後のテーマはこれからの日本の教育についてです。
これからゆとり教育と称して学校で教える勉強の量が減ると、塾勢力がどんどん拡大していくでしょう。
しかし、こうして大手の受験塾・予備校が勢力を拡大する影で、
個人経営の補習塾が苦しい経営を迫られていることを忘れてはいけません。
現に私が昔通っていた個人経営の塾も大手の塾におされて数年前、経営をやめてしまったのですから。
もっとも私はその塾に全くなじめず、1か月でやめました。私の塾嫌いの原点でもあります。
でも経営をやめてしまったことを知ると、決して「ざまあみろ」とは思えませんでした。
少子化の中での生徒の大手の受験塾・予備校への一極集中が個人経営の塾に与える影響は、
相当なものなのでしょう。本来は塾は学校の勉強を補完すべきもののはずです。
きっと受験社会がそうさせてしまったのでしょう。そして少子化も確実に進んでいます。
そうなると必然的に受験は易しくなります。塾・予備校はこれから大きな転換期にさしかかろうとしています。
これからは大学生の補習に積極的に乗り出すことになることはほぼ間違いないと思われます。
最後に「やはり学校にしっかりして欲しい」と述べて、このコーナーを終わりにしたいと思います。


日本語の乱れについて(8月1日)

今回は日本語の乱れについて話します。よく最近は日本語が乱れていると言われています。
一昔前は「ら」抜き言葉が乱れの対象にされていました。最近では「ら」抜き言葉は言葉の合理的な変化で、
「ら」を抜くことによって「可能」の意味を強めることができると認識されつつあるようです。
私は最近、「全然」を肯定的な表現に用いる人が増えているように感じています。
本来「全然」は否定的な表現に用いられるものでしたが、最近は変わってきているようです。
私は「全然」を肯定的に使っている文章を聞くと、とても違和感を覚えます。
しかし現在ではテレビリポーターすら用いる表現になっています。
もしかしたら私も知らず知らずのうちに使っているかもしれません。
日本語は変わっていきます。だから現代語と古典は違うのです。これも自然の流れなのでしょう。
まあ言葉は合理的なものを取り入れて変化していき、そうでないものは一時的なもので終わるといいますからね。
あの徒然草の吉田兼好も鎌倉時代に言葉の乱れを嘆いていたくらいですから、
いつの世でも日本語は乱れていると言われるものなのかもしれません。
私はそれよりも日本語が英語にどんどん侵されていることの方が気になります。日本語は大事にしましょう。
この家頁の元祖・殺陣祭の部屋を見て下さい。日本語表現の豊かさが実感できると思います。


電車内の携帯電話について(7月15日)

今回はヴェハーリ(仮)氏の寸評もどきにも取り上げられた、電車内の携帯電話についてです。
私は大学まで京浜急行と東急東横線を使って通っていますが、車内で携帯電話を使用している人を必ず見かけます。
携帯電話の電源を切る決まりになっている東急線の偶数車両の車内でさえもです。
私は東急線の偶数車両に乗る前に携帯電話の電源を切っている人を今まで一人しか見たことがありません。
その一人とは私が所属する鉄道研究部の先輩でした。
東急の分乗政策はほとんど効果がないように思われます。
しかし携帯電話の電磁波が医療機器に影響を及ぼすおそれがある以上は、何かしら対策を立てる必要があります。
私は東急の携帯電話禁止車両の両数は多すぎるという意見を聞いたことがあります。
いっそのこと携帯電話禁止車両を一両だけにして、その一両を徹底させた方がいいというのです。
確かにこの方がいいかもしれませんが、それでも全員が守るかはどうかは疑問です。
法律・条例等で徹底的に取り締まる手もありますが、そこまでやるのも悲しいものです。
これも一人一人が心がけるしかないようです。最近は電車内・駅構内の暴力事件が増えていますから、
他の人を注意できなくなってますからね。私も人のことは言えませんが。
現在、私は携帯電話は持っておりません。電話に束縛されず、いいものです。


大学内のマナーについて(7月1日)

今回はJuuma会長と私が通っている大学内でのマナーについて話します。
我々が通っている大学は東京都内にあるのですが、朝と昼休みに必ず放送を流します。
その内容は歩行喫煙をするなとか、学食の食器はちゃんと返せとかそういうものです。
私は先日、クリーンキャンパスに参加した(させられた?)のですが、
ポイ捨てされた吸殻の多さと、返されずに放置された食器の多さに驚いてしまいました。
食べかけの定食が廊下にそのまま置かれていることもしばしばです。
また学祭の関係で神奈川のキャンパスに行ったときのことです。
向こうの学生がタバコの火を消しもせずに遠くに投げ捨てていたのです。
もしあれが民家にでも入って火事になったら、大変なことでは済まされません。
これが環境学部の学生がやることでしょうか。
東京のキャンパスでは分煙を進めていますが、禁煙のステッカーをはがして、
タバコを吸っている学生もいるようです。
このような学生のモラルの低下はうちの大学だけではないようです。
こればかりは一人一人が心がけるしかありませんので、しっかり心がけて欲しいものです。


新しい教科書について(外国語)(6月15日)

今回は新しい教科書についての第5回目で、外国語と総合的学習の時間について話します。
新学習指導要領では、小学校で総合的学習の時間というものが設けられるそうです。
ほとんどの小学校で英語をやることになると思われます。これは前にも述べましたが、
英語だけをやるのではなく、様々な外国語をやった方が絶対にいいと思います。
英語だけが外国語ではないのです。合わせて世界地理の勉強もできますし。
また聞いたところによると、総合的学習の時間を英語に当てるのではなく、
自然の中の散策に当てる小学校もあるそうです。これも良いことだと思います。
中学・高校の英語では、オーラルコミュニケーションが重視されるそうです。
最終的に大学卒業時には、学生を英語をほとんどマスターしている状態にするのが政府の目標ですからね。
思えば私の行っている大学では、あまり大した英語をやらなかったなあ。果たしてあれで勉強になったのだろうか。
私自身もあまり一生懸命英語を勉強しませんでしたから、偉そうなことは言えませんが。
私は現在、ドイツ語とエスペラントの勉強をしています。どちらもなかなか面白いですね。
やはり外国語はいいですね。この考え方ですと英語も勉強しなきゃいけませんか。
これで新しい教科書についての話は終わります。


新しい教科書について(国語)(6月1日)

今回は新しい教科書についての第4回目で、国語とおまけで私の略歴について話します。
国語はかなり作文や小論文に重点が置かれるそうです。それは結構なことだと思います。
しかし、読書感想文はどうかと思います。あれは本当に意味がないです。
あんなことをやる時間があったら、もっと他の本を読んだ方がいいに決まっています。
小学校の図書の時間は絶対に確保するべきですよ。あれはなかなかいい時間でした。
でも私が通っていた小学校では、図鑑は文字がないから借りるなと言われました。
宇宙や植物に興味を持っていた私は、結局それらの図鑑を借りることができませんでした。
完全な理系イジメですね。だから理科嫌いが増えるのです。本当にどうしようもない小学校でした。
ちなみに私は小学校時代は理系でしたが、中学・高校と歳を重ねるにつれて文系色が強くなっていきました。
ところが現在は工学部の電気系の学科に所属しています。Juuma会長と同じ大学です。
志望理由は、鉄道ファンが高じてリニアモーターの研究がしたくなったという非常に短絡的なものでした。
さて話を本題に戻します。結局のところ、人間、教養をつけるのは本を読むのが一番なのです。
あと、国文法の授業ほど無意味なものはないですね。私の今までの学生生活の中で一番無意味な科目でしたよ。
日本語は本当に素晴らしい言語です。元祖・殺陣祭だって日本語でないと絶対に表現できませんからね。


新しい教科書について(数学・理科)(5月15日)

今回は新しい教科書についての第3回目で、まずは数学について話します。
数学もかなりの内容が削減されます。中学数学では二次方程式の解の公式が削減対象です。
したがって、中学数学においては因数分解ができないと二次方程式が解けなくなってしまうのです。
これは大変です。解法が一つ減るということは検算方法も一つ減るということなのですから。
高校数学では複素数平面が削減され、他の単元も大きく改変されます。
コンピューターも取り入れられるそうです。これも大いに結構なことです。
次は理科についてです。高校物理では、今までIBとIIに分かれていた熱力学と量子力学をまとめて、
IBとIIの分量を同じにしています。これはいいことだと思います。
化学も単元の改変を行って、IBとIIの分量を同じにしています。
ただ、化学は物理に比べて教える量がかなり多いので、学校の授業で全ての単元を教えきれるかどうか心配です。
私が通っていた高校でも化学の教科書は全て終わりませんでした。これはさすがに削減する必要があると思います。
理科実験は小学生のうちにたくさんやっておくのがよいと思います。
最近は子供の理科離れが深刻ですから、興味を持つように授業を工夫しないといけません。
数学も理科も面白い学問ですから、嫌いになるのはもったいないですよ。


新しい教科書について(算数)(5月1日)

今回は新しい教科書についての第2回目で、算数について話します。
円周率が3になったり、台形の面積を求める公式が取り扱われなくなるのは、もうご存知の通りだと思います。
円周率を3にするのは、3.14だと計算が大変だからだそうです。確かに3よりは大変です。
しかし、それ以上に大変な計算があとからどんどん出てきます。
この程度で大変な計算と判断して、内容を削減してしまって本当によいのでしょうか。
それでも授業日数は完全週休2日制のため減るわけですから、何かしら削減しなくてはなりません。
そのことに関しては我々侍り社の中でも話題になったことがあります。
我々が着目したのは帯分数でした。小学校では仮分数は帯分数に直すようにと教わります。
ところが中学では仮分数は帯分数に直すなと教わります。これを中学の教え方に統一してはどうかというものです。
小学生から見れば仮分数はわかりづらいという意見もあるでしょうが、これは私は良案だと思います。
あと新しい教科書で扱うかどうかはわかりませんが、デシリットルという単位です。
これは実生活ではほとんど使いません。侍り社においては重要単位となっていますが。
小学生のときは大変な計算をたくさんこなしておいた方がよいと思いますよ。
実は計算が大変な問題は簡単な問題なんですよ。計算さえ間違えなければ正解になるのですから。


新しい教科書について(歴史)(4月15日)

今回は世間で大いに話題になっている新しい教科書についてです。
述べることがたくさんあるので何回かに分けて話す予定で、その第1回目は歴史です。
日本の歴史教科書はしばしば中国・韓国などから歴史の捏造と批判されてきました。
思えば私が高校生だったときに使った歴史教科書に閔妃暗殺について書かれていましたが、
暗殺を実行したのが日本人公使だったということは、あまり強調されていませんでした。
当時の記録によると閔妃を暗殺しただけでなく、その女官たちも殺されたそうです。
他にも南京大虐殺など述べるべきことはたくさんあるのですが、
専門家でない私が知ったかぶりをして述べるのはあまりよろしくないので、これぐらいにしておきます。
結局のところ、歴史の教科書が生徒に与える影響はあまり大きくないと思うんですよね。
興味のない人は忘れちゃいますし、ある人は自分でいろいろと調べますから。
それでもやはり教科書ですから見方が偏ることなく作って欲しいですね。難しいでしょうけど。
あと、小学校の社会科では郷土史に力を入れてもらいたいですね。
郷土史って結構面白いんですよ。わかると自分の住んでいるところがますます好きになりますから。
歴史って先生が教えるより自分で調べた方がいろいろな見方ができていいと思うんだけどなあ。


最近の予備校の宣伝について(4月1日)

今回は前回に話す予定だったことを話します。予定変更のおかげで話すことも増えましたし。
代々木ゼミナールのテレビ宣伝を見ました。何じゃこりゃと思いましたよ。
もう学歴社会じゃないと言っておきながら、東大に入れとは矛盾にもほどがあります。
また四谷学院や明光義塾などのテレビ宣伝はわけがわかりません。
ただ強烈な印象を与えているだけです。現代においてはそれが宣伝なのでしょうが。
駅の広告にも予備校の宣伝がたくさんあります。中には不安をあおるようなものさえ。
生徒数の減少で経営が苦しいということはわからないでもないが、私はそのような広告を見ると不快になります。
全国の生徒は予備校の不安をあおるような広告に負けてはいけません。
Juuma会長もヴェハーリ(仮)氏も私も未塾児であることを誇りに思ってきました。
何も予備校に行かなくても大学に入学できるのです。
思えば最近は予備校も生き残りをかけて、大学生を対象にした補習を始めたりしているようです。
あと何年かすれば予備校の体質もずいぶんと変わっているでしょう。
それが我々未塾児連盟が不快に思うようなものでなければよいのですが。
ずいぶんと偉そうなことを言ってしまってすみません。


新興宗教の勧誘について(3月15日)

Juuma会長が3月7日の日記まがいの中で、過去に新興宗教に勧誘されたことを話してくれたので、
今回はちょっと予定を変えて、それについて話します。
実は私も会長を勧誘した人と全く同じ人から勧誘されました。
最初は本題を話さずに世間話のような話をして、徐々に本題に入っていくのです。
このままだと国が駄目になるとか訳のわからないことを言って、相手を不安にさせます。
まあ私は政治について日頃から研究していますんで、あまり動揺しませんでしたが。
この次は毎日何分お祈りするだけでいいとか、金はかからないとか言うんですよね。
私がいくら断っても向こうは全然説得をやめないものだから、結局走って逃げました。
3時間も時間を使ってしまった。
あとから聞いたことですが、この宗教は強引な勧誘で問題になったことがある宗教でした。
しかし、今の世には本当にたくさんの新興宗教がありますね。
最終的に私が言いたいことは宗教は駄目だということではなくて、勧誘には十分注意しようということです。
一番大事なのは自分の信念ですよね。それさえあればそれが自分の宗教です。
あと、政治や国際情勢について知っておいたほうがいいですよ。こういうときに役に立ちますから。


日本の英語教育について(3月1日)

日本はアジアの中でも英語ができない民族ということになっています。
しかし、それは絶対に嘘だと私は思っています。
日本人ほどみんなが英語を知っている英語圏以外の国はないはずです。
ただしほとんどの人が少ししか知りませんが。
だから日本政府は日本人は英語ができないと思う必要は全くないはずです。
また、小学校での英語教育に関して、英語をやる前に日本語をやるべきという意見に私は激しく賛成します。
そんなに英語を重要視する必要はないはずです。
思えば中高生時代の通知表を見ると、英語の欄には外国語(英語)と書かれていました。
中学校でも英語をやる前に様々な外国語をやった方が良いと思います。
外国語は英語だけではないし、様々な外国語の挨拶表現ぐらいは知っていた方が良いはずです。
そしてエスペラント語をやればなお良いと思います。
私は最近、井上ひさし氏の随筆を読んだのですが、その中で氏は、
どうせ英語をやるならエスペラント語を学んでから英語を学んだほうが良いと述べています。
結局、エスペラント語の薦めになっちゃいましたね。


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