第1回   西園寺実氏について
今週の北条時宗はここがおかしいのテーマは、西園寺実氏についてです。
西園寺実氏は鎌倉幕府との連絡役である関東申次を務め、
亀山天皇の外祖父でもある朝廷の実力者です。
しかし、昨日の大河ドラマではしっかりと出演していた。
これはおかしい。私が持っている日本史年表によると、
昨日の放送の時点ですでに西園寺実氏は亡くなっているのだ。
まあ、別にいいんだけどね。あれはあれでドラマとしては面白いから。



第2回   宗尊親王について
さて今回は幕府6代将軍、宗尊親王についてです。
大河ドラマでは吹越満さんが演じていて、
あの独特の京言葉によって、いい味を出していると思います。
ドラマ内では幕府転覆の首謀者のようになっています。
思えば京都に更迭される前も時宗を倒そうとしていました。
しかし、とある本には宗尊親王と北条時宗は
兄弟のように仲がよかったと記されています。
どちらが本当かはわかりませんが、和歌が大好きだった宗尊親王は、
将軍更迭後はこれといった野心を持たずに
和歌に没頭していたんじゃないかと、私は思うんですけどね。



第3回   二月騒動について
今回の北条時宗はここがおかしいは二月騒動についてです。
昨日の放送では、時宗の軍に攻められて
北条時章・教時兄弟が討たれましたね。
しかし、史実とは少し違っているのです。
実際は北条家の家来の誰か(平頼綱あたりか)が、
謀反の疑いがある名越兄弟を先走って殺してしまったようなのです。
したがって、無実の時章を討った武士は打ち首、
弟の教時を討った武士には恩賞は何も出なかったのです。
ドラマでは時章は名越は謀反に滅びるにあらずといって自害しました。
史実ではあの言葉通り、二月騒動では名越は滅びていません。
それは無実の罪で討たれた時章の子供の公時には、
その賠償としてたくさんの領地が与えられたからです。
いやはや史実はこうなのですよ。



第4回   北条時輔について
今日の北条時宗はここがおかしいは一日早くお届け致します。
今日はあの渡部篤郎さん演じる北条時輔についてです。
これはドラマのシナリオを根本から覆すことになるのですが、
北条時輔は史実では謀反の首謀者である可能性が高いのです。
しかしこれを言ってしまうとおしまいですので、
今日の北条時宗はここがおかしいはこれでやめます。
そして渡部篤郎さんのファンの方にうれしいお知らせがあります。
渡部さん演じる時輔はまだ大河ドラマに出てきます。
私は大河ドラマストーリーを持っているので知っているのです。
どういう形で出てくるのかを述べるのは控えておきます。
渡部さんファンの方はこれからの大河ドラマ北条時宗からも
目が離せませんよ。(私はNHKの回し者ではありません)



第5回   北条政村について
今日の北条時宗はここがおかしいは北条政村についてです。
ドラマ内の伊東四朗さん演じる政村は大変な野心家で、
権力に対する執着心が強い人物として描かれています。
私は今まで北条時宗に登場する人物についていろいろと調べましたが、
この政村に関しては温厚な人物と記されている本が多いように思われます。
娘が病気になったとき、ひどく心配したという逸話があるくらいです。
ドラマには出てきませんでしたが、政村には時村という嫡男がいます。
時村はのちに連署になるのですが、
時宗の甥の宗方によって殺されてしまいます。
ちなみに宗方はドラマに出てこない時宗の弟、宗頼の子供です。
北条一族の重鎮であるにも関わらず、
ドラマに出てこない人物って結構いるんですよね。
まあ仕方ないとは思うのですが。



第6回   北条義政・時広について
今日の北条時宗はここがおかしいは北条義政と時広についてです。
今回の放送で北条義政は連署に就任しました。
北条義政は北条重時の六男ですので、重時の長男である六代執権長時や、
三男である六波羅探題北方を努めた時茂の弟にあたります。
重時は側室が何人かいたようですので、他にも子供がたくさんいます。
重時は自分の子孫には「妻は一人だけ」と家訓を残しておきながら、
自分は違っていたようです。話を北条義政に戻します。
連署就任前、義政はドラマでは守護を務めていたことになっています。
実際は義政の連署就任前の職は引付頭人でした。
文永の役の後、義政は突如連署を辞任して信濃の塩田に
ひきこもってしまいます。そのため塩田義政とも呼ばれています。
これは時宗によって追放されたという説もあります。
次は北条時広についてですが、彼は北条重時・政村のいとこの子で、
二代執権北条義時の弟、時房の孫です。
今回の放送で時広は引付頭人に就任していますが、
実際は時広はそれ以前に引付頭人に就任していたのです。

昨日は内容が間違っている原稿を投稿してしまって大変失礼しました。
お詫びに参考資料として当時の鎌倉幕府の人事を示したいと思います。

時章・政村死去前の人事  時章・政村死去後の人事
執権     北条時宗    執権     北条時宗
連署     北条政村    連署     北条義政
引付一番頭人 北条時章  引付一番頭人 北条実時
引付二番頭人 北条実時  引付二番頭人 北条時村(政村長男)
引付三番頭人 北条義政  引付三番頭人 北条宗政
引付四番頭人 北条時広  引付四番頭人 北条時広
引付五番頭人 安達泰盛  引付五番頭人 安達泰盛

これを見ると義政は実時を飛び越えて昇進しているのがわかります。
北条時章は幕府内の人事ではずいぶん優遇されていました。
参考資料は歴史読本6月号「八代執権北条時宗」によるものです。



第7回   平頼綱・日蓮について
今日の北条時宗は1日早くお届けいたします。
今回は私がもっとも研究した人物、平頼綱と日蓮についてです。
平頼綱は系図上ではあの平清盛の子孫ということになっています。
しかし結局のところはどこから出てきたのかよくわからないのです。
ドラマでは頼綱は平盛綱の養子ということになっていますが、
実際は頼綱は平盛時の子で、盛綱から見ると孫だったようです。
しかし盛綱の子とする系図もありますので、断定はできません。
そして頼綱は日蓮を斬ろうとした人物でもあります。これは史実です。
ドラマでは頼綱は自分の本性を見抜かれたため、
怒って日蓮を斬ろうとしたことになっていますが、
私は頼綱は熱心な浄土真宗の信徒だったため、
日蓮を斬ろうとしたのだと思っています。私の個人的な考えですけど。
頼綱は時宗の死後、安達泰盛を倒して、幕府の実力者になって、
悪政の限りを尽くしたことになっています。
その一方で浄土真宗の寺に寄進もしています。
頼綱はその死後、生きながら地獄に落ちたと言われました。
でも本当に熱心な浄土真宗の信徒だったら地獄には落ちませんよね。
浄土真宗は念仏さえ唱えれば、悪人でも救われるという教えなのですから。
機会があればまた頼綱について述べたいと思います。



第8回   近衛基平について
今日の北条時宗は回想シーンが中心だったので、
少し前に戻ってドラマでは切腹してしまった
関白・近衛基平について述べたいと思います。
実は近衛基平は一条実経の甥にあたり、
姉は宗尊親王の正室になっています。
もちろん史実では死因は切腹ではなく病死です。
全く意見がまとまらない朝廷を
「蒙古には返書を出さない」という意見にまとめた実力者です。
そのときの基平の年齢は23歳でした。
そして、その直後に亡くなってしまうのです。
幕府では18歳の時宗、朝廷では23歳の基平が
国のことを考え、自分の意見を主張していた。
2人とも若死にしてしまうのも共通しています。
話は飛びますが、地元の図書館で北条時輔について調べたところ、
史実でも時輔生存説があり、吉野山に落ち延びたというものがあります。
ドラマではすごいことになっていますからね。



第9回   宗助国について
今日の北条時宗はここがおかしいは、宗助国についてです。
助国は対馬の守護代で、ドラマでは討死の報告で名前が出るだけでした。
しかし、この助国は系図上では平清盛のひ孫にあたる人物なのです。
清盛の四男、知盛の三男、知宗の子とされています。
対馬を平定した兄の惟宗重尚の養子となり、宗を名乗りました。
宗一族は関が原で西軍についても取り潰されず、
幕末まで家が続くのですから大したものです。
平清盛の系図上で子孫にあたる人物は他にもいろいろといます。
前にもあげた平頼綱や同族の長崎円喜、
鉄砲伝来のときに出てくる種子島一族などです。
そして一番の大物は織田信長でしょう。
あくまで系図上ですので本当は違うと思いますけど。
現在、私はドラマで自害してしまった壱岐の守護代、平景隆について
調べておりますが、なかなか資料が集まりません。
この人も平家一族の生き残りの子孫なんでしょうかね。



第10回   亀山上皇について
今日の北条時宗はここがおかしいは、亀山上皇についてです。
亀山上皇は宗尊親王の異母弟で、あの後醍醐天皇の祖父にあたります。
母はドラマにも出ている西園寺実氏の娘です。
亀山上皇は後嵯峨天皇の第3皇子として生まれ、
病弱だった第2皇子の同母兄、後深草天皇の後を継いで天皇になりました。
第1皇子の宗尊親王は母親の身分が高くなかったため、
皇位継承者にはなれなかったようです。
実は鎌倉6代将軍を天皇家から迎えると決まったとき、
宗尊親王ではなく当時親王だった亀山上皇を迎える案があったそうです。
もし亀山上皇が鎌倉将軍に迎えられていたら、
天皇にはなれなくなってしまうため、
その孫の後醍醐天皇が歴史に名を残すことはなかったでしょう。
そうなると後の歴史が大きく変わることになります。
南北朝時代がなくなってしまいますからね。



第11回   佐志房について
今日の北条時宗はここがおかしいは、佐志房についてです。
いろいろと調べてみてわかったのですが、
どうやらこの佐志房という人物は、実在の人物だったらしいのです。
そして驚いたことに佐志房の息子の留、直、勇も
実在したということがわかりました。
さすがに娘の桐子は架空の人物ですけど。
史実では佐志房は松浦村の地頭を務める御家人で、
文永の役の時に戦って、3人の息子と共に戦死したことになっています。
とりあえずドラマでは彼らの名前を借りたということになるんでしょうかね。
史実の佐志房とは別の人物と考えた方がよさそうです。
思えば博多の商人、謝国明も実在の人物なんだよなあ。



第12回   少弐景資について
今日の北条時宗はここがおかしいは、少弐景資についてです。
景資は鎮西奉行・少弐資能の三男で、
文永の役のときは日本側の司令官として活躍しました。
少弐氏はもともと武藤という名字でしたが、
代々大宰府少弐の職を務めていたので、その職名を名字としたようです。
景資には経資という兄がいます。経資は資能の次男で、嫡男でもあります。
ちなみに弘安の役のときの壱岐の守護代で、
19歳の若さで討死した少弐資時は経資の子です。
実は景資は元寇が終わったのちに起こった霜月騒動の中で、
この経資と家督相続争いをして、敗れて討たれてしまうのです。
霜月騒動とは平頼綱が安達泰盛を始めとする安達一族を滅ぼした事件です。
経資は、このとき九州にいた安達泰盛の養子の盛宗を討っています。
ドラマで大活躍の景資には、このような運命が待ち構えているのです。



第13回   高麗出兵計画について
今日の北条時宗はここがおかしいは、高麗出兵計画についてです。
これは史実でも北条実時を中心に計画されていました。
しかし専守防衛論者の安達泰盛の反対で、実現には至りませんでした。
ドラマの安達泰盛は、いかにも無骨な武士として描かれていますが、
実際は教養も相当高く、京都の公家とも交流がある文武両道の武士でした。
そして結局、幕府は専守防衛の道をとることになります。
その一環として北九州に築いた石の防塁は、
弘安の役で威力を発揮することになるのです。
結果としては高麗出兵はやらなくてよかったのです。

最近、ドラマのおかしさをあまり指摘していないなあ。
題名と内容が一致していない・・・。



第14回   足利家について
今日の北条時宗はここがおかしいは、足利家についてです。
ドラマでは足利家の当主は家時になっています。
しかし私が持っている年表によると、
この頃は頼氏が生きていることになっています。しかも18歳です。
これはものすごい大間違いです。久しぶりにドラマの間違いを指摘しました。
ちなみに家時は足利尊氏の祖父にあたります。
そして高師氏はあの高師直の祖父なのです。
思えば時宗の孫が北条高時ですし、実時の孫が金沢貞顕、
義宗の孫が赤橋守時で、頼綱の親戚が長崎円喜です。
あと亀山上皇の孫が後醍醐天皇です。
こうして見てみると、太平記の登場人物のおじいさんや親戚が、
大河ドラマ「北条時宗」に総出演しているんですよね。
最後に桔梗の子、家氏について述べることにいたします。
ドラマでは名前しか出てきませんでしたが、廃嫡となった家氏は、
室町幕府で三管に数えられた斯波家の始祖だったのです。
いやはやこれはびっくりです。
こんな話をしていたら、大河ドラマ「太平記」が見たくなってしまったなあ。



第15回   杜世忠について
今日の北条時宗はここがおかしいは、杜世忠についてです。
杜世忠はもちろん実在の人物で、元の使者として日本にやってきました。
これは誰でもわかる間違いなので、言うまでもないとは思うのですが、
杜世忠が北条時輔に連れられて鎌倉に行ったということはありません。
先週の時宗紀行でも言っていたように、普通に鎌倉に行ったのです。
そして、鎌倉に行かずに残った使者は殺されてしまったのです。
杜世忠も鎌倉で結局、殺されることになります。
日本の内部を見られた以上は、生かしておくわけにはいかないのです。
生かして帰しでもしたら、日本の地形を詳細に調べられて、
その報告を次の日本遠征時に使われてしまいますからね。
その後も何度か使者は来たようですが、殺さずに軟禁していたようです。
したがって、杜世忠は非常に不運な人物ということになります。



第16回   無学祖元について
今日の北条時宗はここがおかしいは、無学祖元と鎌倉円覚寺についてです。
ついにドラマに無学祖元が出てきましたね。
無学祖元は北鎌倉駅のすぐ側にある円覚寺を開いたことで有名です。
円覚寺には北条時宗の墓があります。
私も円覚寺には行ったことがあるのですが、
何と行ったその日が時宗の命日で、これも何かの縁だろうと、
手を合わせて帰ったら、その数年後には大河ドラマになってしまいました。
それがきっかけで私は時宗研究を始めたわけですから、
いやはや不思議な運命のめぐり合わせです。(ちょっとオーバーかな)
実は円覚寺の境内は、JR横須賀線によって本堂と池が分断されています。
これは軍が強引に鉄道建設を推し進めた結果です。
国防の神様である北条時宗の寺の中に鉄道を敷くようなことをするから、
旧日本軍は駄目になってしまったんですよ。きっと。
あと円覚寺の最寄り駅の北鎌倉駅は面白い駅でして・・・(以下略)

今回はドラマのおかしさを述べていませんので、
これから述べることにいたします。
昨日、私は「三浦氏と北条氏」というシンポジウムに参加して、
大河ドラマ「北条時宗」の時代考証を担当されている、
奥富敬之先生のお話を聞いてきました。
先生のお話は大変興味深いもので、貴重な体験をすることができました。
三浦氏といえばドラマでも第1回の放送で出てきました。
しかしあれはあまりにもひどい。ひどすぎる。
三浦氏を完全に悪者にしている。おかしい。本当におかしい。
私と同じように思っている方は、三浦半島にたくさんいると思いますよ。



第17回   竹崎季長について
今日の北条時宗はここがおかしいは、竹崎季長についてです。
竹崎氏は肥後の名族、菊池氏の分家にあたるそうです。
したがってドラマにも出てくる菊池武房とは遠い親戚になります。
竹崎季長は貧しい御家人でしたので、郎党も4人しかいませんでした。
ドラマでも季長の郎党は4人だけでしたので、
正しく史実に沿って描けていたと言うことができます。
思えばドラマでは蒙古襲来前にも季長は鎌倉を訪れていますが、
あれは完全に嘘ですからね。北条宗政と一緒に戦ったのも嘘でしょう。
執権の弟が最前線に出て戦うわけがないのですから。
あと季長といえば蒙古襲来絵詞です。
あの蒙古襲来絵詞は季長を今津に配置して、
一番手柄を立てるきっかけを作ってくれた少弐景資と、
恩賞をさずけてくれた安達泰盛・盛宗父子を
たたえるために描かれたものだそうです。
そして、この3人は時宗死後の霜月騒動で滅ぼされてしまいます。
季長は蒙古襲来絵詞で自分の活躍だけでなく、
滅ぼされてしまった自分の恩人も描いていたのです。



第18回   北条義宗について
今日の北条時宗はここがおかしいは北条義宗についてです。
今回の放送で北条義宗は自害して果ててしまいました。
史実では病死になっているのですが、病死では面白くないので、
脚本家さんが自害にしたのでしょう。近衛基平と同じパターンです。
おかしいところは他にもあります。
今回の放送で義宗の叔父の北条義政が連署を辞職してしまいましたが、
その理由が甥の義宗が死んだからということがおかしいのです。
ドラマでは長時の命日、義宗の自害、義政の連署辞職という順番ですが、
史実では義政の連署辞職、義宗の病死、長時の命日という順だからです。
おそらくドラマを面白くするために順番を変えたのだと思いますけど。
史実どおりの順番だと、ちょっとドラマにしづらいですからね。
長時といえばドラマでは平頼綱に殺されていましたね。
もちろん史実ではそんなことはなく、長時は病死となっています。
長時は生まれつき病弱で、政治的野心もドラマほどなかったようです。
しかし長時も三浦一族と並んで、ドラマではひどい扱いだったなあ。
ちなみに太平記に出てくる足利尊氏が鎌倉でこもった
浄光明寺という寺は、北条長時の創建だそうです。



第19回   平頼綱について
今日の北条時宗はここがおかしいは平頼綱についてです。
ドラマの頼綱の脚色のされ具合は本当にすさまじいです。
確かに史実の頼綱に関しては、わからないことが多いように思われます。
だからと言って、あそこまで脚色してしまうとは・・・。
本物の頼綱さんがあのドラマを見たら、さぞかし驚くでしょうね。
頼綱が時宗の死後、霜月騒動で安達氏を滅ぼしたのは前に述べたとおりです。
この霜月騒動では安達泰盛の娘婿である北条顕時も流罪になっています。
この後、頼綱は幕政を牛耳るわけですが、
頼綱は自分の次男、助宗を幕府将軍にしようともくろむようになります。
しかし、この計画は頼綱の長男、宗綱が北条貞時に密告したため露見し、
平頼綱は次男の助宗と共に、自らが乳父を務めた貞時に討たれてしまいます。
また長男の宗綱も親を密告した罪を問われ、流罪になっています。
こうして平頼綱の幕政支配は終わりを告げるのです(平禅門の乱)。
そして代わりに同族の長崎氏が台頭してきます。長崎円喜が有名ですね。
ずいぶんと話が飛んでしまいましたが、頼綱の最後は衝撃的なものなのです。
ちなみに頼綱の妻が本当に公家の飛鳥井家出身かどうが調べてみたところ、
これは史実どおりだということがわかりました。



第20回   チンキムについて
今日の北条時宗はここがおかしいはチンキムについてです。
チンキムはクビライの子で、大元の皇太子にあたります。
実はチンキムは父クビライが死ぬ前に亡くなってしまうので、
大元の皇帝になることはありませんでした。
チンキムは立派な人物だったらしく、仏教を深く信仰していたそうです。
若死にした人物はよく描かれる傾向があるので、
実際のところは何とも言えませんが、それでもチンキムが若死にしなければ、
モンゴル帝国はもろくも崩壊せずにすんだかもしれません。
クビライ亡き後のモンゴル帝国は分裂を起こし、国が割れてしまったのです。
また漢民族を軽視しすぎたのが滅亡の原因の一つになったことも否めません。
話すとキリがないのでここら辺でやめにしておきますが、詳しいことは
陳瞬臣著「チンギス・ハーンの一族」全4巻を読むと
この時代のモンゴルのことがよくわかります。私も読みました。
ちなみにクビライの後を継いで皇帝になったのはチンキムの子です。



第21回   北条宗政について
今日の北条時宗はここがおかしいは北条宗政についてです。
宗政は時宗の同母弟で、正室は北条政村の娘です。
嫡男の師時は北条貞時のあとを継いで、幕府十代執権に就任しています。
今回の指摘はドラマとは直接関係はありません。
その指摘とは、ほとんどの文献が足利家時の正室を
北条宗政のひ孫としているということです。
家時の嫡男で尊氏の父、貞氏の最初の正室が北条顕時の娘ですので、
どう考えても世代があいません(ちなみに尊氏は後妻の子)。
少数派ですが、家時の正室を北条時茂の娘としている方が、
世代があっていて正しいように思われます。
思えば時茂の正室も政村の娘でしたね。あと北条実時の正室もそうでした。
ドラマでは顕時の生母は政村の娘ではないことになっていましたが、
史実では政村の娘だったようです。政村の娘は他にもおり、
時茂の弟、業時や、安達泰盛の弟、顕盛の正室も政村の娘でした。
ずいぶん話がそれてしまいました。それにしても時宗が鎌倉を離れて
甲斐国の身延山に登るなんて、史実では絶対にあり得ませんよね。



第22回   弘安の役について
今日の北条時宗はここがおかしいは弘安の役についてです。
ドラマでは対馬・壱岐の住民は避難したことになっているようですが、
実際は文永の役と同様なことが起こりました。壱岐守護代も討死しています。
また、蒙古軍が14万といっても、その半分以上が開拓民だったそうです。
すなわち、先発部隊が九州北部を制圧し、そこに開拓民を送り込む。
そして開拓民に土地を耕させ、食物を作らせる。
そうやって日本を占領していくというのが、蒙古軍の作戦だったそうです。
日本は島国ですので、完全に占領することを目的にするならば、
このように日本国内に補給地点を作らないと厳しいからです。
それにしても時宗の情報収集力や対応力はすごいですね。
いつ頃、蒙古軍が日本を襲うかという情報を、把握していたのですから。
おそらく大陸に渡った商人から情報を入手していたのでしょう。
現在の日本政府には時宗のような情報収集力や対応力があるのでしょうか。



第23回   神風について
今日の北条時宗はここがおかしいは神風についてです。
ドラマでは日本の武士が海に放り出された蒙古兵を助けていましたが、
史実ではこのようなことはほとんどなかったでしょう。
おそらく見つけしだい殺していたと思います。
今回は北条宗政まで殺されてしまいましたね。史実では病死なのに。
さて、のちに神風といわれるこの暴風雨が、
その後の日本で神国観を高める材料になってしまったことは事実です。
しかし、あれは暴風雨が来たから日本が勝てたのではなく、
日本の武士が強くて、時宗の情報収集力・判断力が
的確だったからこそ勝てたのだと思います。
4月に現れた蒙古軍を、台風の季節である7月まで上陸させなかったのは、
間違いなく武士の力によるものなのですから。
ただ、武士は元寇のことをあまり書物に残さず、
敵国降伏の祈祷を行っていた公家や僧侶の方が書物に残しているので、
武士の活躍よりも神風の方が強調されて伝えられてしまったのです。



最終回   北条時宗について
今日の北条時宗はここがおかしいは主人公の北条時宗についてです。
ドラマが最終回を迎えたため、このコーナーも今回が最後となります。
最後を飾れるのは、もちろん主人公の時宗しかいません。
時宗は34歳の若さで亡くなってしまいますが、
史実では死の直前に出家しています。
教科書等に出てくる時宗の肖像画は出家後の姿になっていますよね。
したがって、ドラマでは出家していないので史実どおりではないのです。
とまあ最後ですからドラマにケチをつけるのはこれぐらいにしまして、
私の大河ドラマ「北条時宗」に対する感想を述べることにします。

私は半年間、ドラマの史実に反する点を指摘し続けてきたわけですが、
(自分の知識をひけらかしているだけの回もありましたが・・・。)
決してドラマをつまらないと思っていたわけではありません。
むしろ今回のドラマは、私の中ではかなり面白い部類に入っています。
北条時宗は、あまり取り上げられることのなかった人物でしたので、
大河ドラマになり、一般に知られるようになってよかったと思います。
史実の時宗もドラマと同じように、国に対する思いが強かったはずです。
これだけは間違いないと確信しています。
国を守ることとは何なのか、時宗は私達に示してくれたのかもしれません。
と、少し気取った感想を述べて、このコーナーを終えたいと思います。







第1編   番外・北条時宗について
北条時宗は幕府5代執権北条時頼の次男として生まれました。
母親は北条重時の娘としているのが一般的です。
ドラマでは毛利季光の娘で、北条重時の養女になっていました。
確かに史実でも時頼の妻の一人に毛利季光の娘はいたようです。
しかし、重時の娘とは別の人物になっています。
ということはドラマは史実とは違うということになるのですが、
養女という手段を用いて時頼の正室になったという考え方も
できなくはないので、本当のところはわかりません。
ちなみに毛利季光は、あの源頼朝の側近、大江広元の息子です。
時宗の正室は安達泰盛の妹ですが、実際は泰盛の養女として
得宗家に輿入れしたようです。時宗は側室を置きませんでした。
これは北条一族において非常に珍しいことです。
北条実時にさえ側室はいたのですから。
ドラマでは時宗の子供は嫡男の貞時しか出てきませんが、
実際は貞時以外にも娘が一人いたそうです。
この娘はあの足利尊氏の父、貞氏の正室になっているのですが、
どうやら若死にしてしまったようです。
思えば北条顕時の娘も貞氏の正室になっているので、
貞氏は二回も正室に先立たれたことになってしまいます。
ちなみに貞時の正室は北条宗政の娘です。



第2編   番外・北条時輔について
北条時輔は幕府5代執権北条時頼の長男として生まれました。
母親は讃岐局といい、将軍家に仕える女房だったようです。
したがって、時頼が自ら側室に迎えた可能性が高く、
ドラマのように北条政村が側室として
時頼にすすめたという可能性は低いということになります。
時輔の正室は下野の御家人、小山長村の娘です。
ドラマでは北条実時の姪となっていましたが、これは史実どおりです。
史実では時輔の正室は二月騒動で時輔が討たれたことを知り、
実家の小山で時輔の敵を討つ計画を立てますが、
事前に計画がもれて捕らえられたそうです。
そのとき、時輔の嫡男、時朝も共に捕らえられるのですが、
時朝は時宗にひきとられて育てられることになります。
ドラマの時利は、どうやらこの時朝をモデルにしているようです。
私は正直申し上げて、ドラマで時宗が時輔の子をひきとったのは
完全な創作だと思っていたので、この事実を知って大いに驚きました。
史実の時宗も兄を討ってしまったことを負い目に感じていたのでしょう。
また、時輔には他にも息子がおり、時宗の死後、
反北条勢力に担がれて乱をおこして殺されています。
思えばドラマでは時輔の娘が出ていましたが、
彼女は最後はどうなってしまったのでしょう・・・。



第3編   番外・北条時頼について
北条時頼は時宗・時輔の父で、幕府5代執権です。
時頼の父は幕府3代執権北条泰時の嫡男の時氏で、
母は安達泰盛の叔母の松下禅尼、兄は幕府4代執権北条経時です。
時頼は兄の経時が重病で執権職が務まらなくなったため、
その執権職を譲り受けることになります。
その後、間もなく経時は亡くなります。
こうして執権になった時頼は経時の子を出家させ、
自分の子の時宗を得宗家嫡男としてしまうのです。
時頼は名執権と呼ばれたそうですが、
その時頼も結局、執権職は自分の子供に譲りたかったようですね。



第4編   番外・安達泰盛について
安達泰盛は北条時宗の義兄で、北条時頼とも従兄弟同士になります。
実はこの安達泰盛にも時宗と同じように異母兄がいるのです。
名を頼景といいます。烏帽子親は時頼だったのでしょうか。
そして、この頼景は興味深いことに二月騒動のときは京都にいて、
北条時輔に味方するのです。結果、所領を没収されてしまいます。
しかし、霜月騒動のときは所領を失っていたせいか平頼綱に狙われず、
生き延びて家を続けることができたのです。
家督をついだ安達泰盛は滅ぼされ、
所領を失った頼景は家が続くのですから、何とも皮肉なものですね。



第5編   番外・北条実時について
北条実時は幕府2代執権北条義時の子、実泰の嫡男です。
父の実泰は北条政村の同母弟にあたります。
実時は病気がちの父に代わって、若くして金沢流の家督をつぎます。
ちなみに北条時章・教時兄弟の父、朝時と北条重時は同母兄弟です。
実はこの実時の娘が、公家の飛鳥井雅有に嫁いだことになっています。
平頼綱の正室は飛鳥井雅有の娘ですから、
実時と平頼綱の正室は親戚ということになります。これは驚きです。
でも、世代的に考えて実時の娘が
平頼綱の正室の母だとは考えづらい気もしますが・・・。



最終編   番外・三浦一族について
番外編の最後は三浦一族についてです。
ドラマでは三浦一族の三浦泰村・光村兄弟が初回だけ登場しました。
私は大河ドラマ「北条時宗」において
三浦一族の描き方だけはどうしても納得がいきません。
これでは三浦一族がまったくの悪者です。
三浦一族を滅ぼすように北条時頼にけしかけたのは安達氏です。
三浦が滅べば相対的に、幕府内での安達の地位が高まるからです。
兄の三浦泰村は温和な性格で、最後は戦うことをやめて
源頼朝の墓前で一族もろとも自決する道を選びました。
弟の三浦光村は敵に自分の首がわたって「光村の首」とわかるのを嫌い、
刀で自分の顔をさんざんに傷つけてから自害したそうです。
ドラマで北条・安達一族が活躍する陰で、
三浦一族の悲劇があったことを決して忘れてはいけません。



一つ戻る      最初の頁に戻る


inserted by FC2 system